「コイツのスケートは映像として残したい」と身近なスケーターを撮ることから始まり、気がつけば一端のフィルマーになっていた…。さまざまなインタビューを読んでいると、フィルマーとして活動するスケーターの多くがそんなことを語っている気がします。一方、自分はどうやら機械は得意でなく、さらに映像を取り込み編集できるほどPCのスキルもない。そもそもカメラやその周りの機材を買い揃える金もねぇってな理由で(なんつっても面倒だ)、これまで持っていたカメラと言えば実家にあった家庭用ビデオカメラ(それも突然RIP)、そしてiPhoneくらい。重い機材を背負ってスポットを回り、ベストな形でライディングを撮影するために試行錯誤し、自宅に帰ってからも作業が待っている。「楽しいから…」とは言いますが、影の主役たるフィルマーやフォトグラファーの苦労は計り知れません。
やはり滑りたい、出しゃばりたい側のタイプである僕ですが、偉そうにも自分で責任を負ってでも「コイツのスケートは映像として残したい」と思わせてくれるスケーターがひとりいました。彼の名前は金子ハルキ。おそらくこれを読んでいる99%以上の方は聞いたこともないでしょう。スポンサーが付くようなスキルを持ち合わせたスケーターでもなければどこかのクルーに所属するでもない。それどころかプッシュにもギコさすら残る、初心者に毛が生えたような感じのスケーター。ではなぜ撮ってみたいと思ったかって、それはかなり特異性のあるスケーターだったから。今から5年ほど前でしょうか、当時都内の大学に通っていたようで今はなき宮下公園や駒沢のパークに出没。銀ブチメガネにそこらで調達したようなデニム、謎のTシャツがトレードマーク。ニタっと笑うと歯が黒ずんで見えるのは、マウスピースをしていたからだと後に判明。
肝心なスケートですが、得意なボンレス系トリックはマイク・ヴァレリーからのインスパイア。しかしそれ以上に謎の動きも目立ち、トラックの付いていない板だけでステアやレールを下るという練習に打ち込んだり、スロープレールの下で寝そべった状態でレールの一部へ下から上に板を擦り付けたりと、トリック名すらないようなことをひたすら続けていました。風貌から滑りまで、一般的に思い浮かぶようなスケーター像とはまるでかけ離れていたように思います。周りの目に左右されることなく、物真似ではない自分のスケートを追求するのがいいスケーターのあり方とするのであれば、金子ハルキはそんなスケーターのひとりだったと思うのです。そういうことで、スキル確かな宮下ローカルたちからもこっそり人気を集めていたというわけ。
実は宮下や駒沢には数十キロも離れた埼玉の実家からママチャリで来ていた彼。「大学を卒業したらロードバイクをゲットしてまた宮下に来る」と言ったきり、彼の目撃情報は途絶えました。そして今は自衛隊員として勤務しているという噂があるのみ。「ストリートで滑ったら何を見せてくれるんだろう?」。そんな期待から撮影をしてみたいと思った僕の希望は叶わぬままとなってしまいました。結局TKがフィルム&エディットを担当した“宮下コンクリートパーク”でのカットがおそらく彼の唯一の映像でしょう。今どこかで滑ってたりするのだろうか。彼をご存じの方、情報求ム…。
─Kazuaki Tamaki(きなこ棒選手)