「シューズスポンサーがある」ってのは、本当に高いスキルの持ち主であることの指標のひとつだと思います。当然それを持ち合わせていながらシューズスポンサーがない人も多くいるのもまた事実。アパレルやデッキブランドであれば今や素人でも少し頑張れば作ることができるようになりましたが、靴はそうそう作れるものではありません。必然的にシューズブランドの数も限られたものとなり、そこでサポートを受けられるスケーターの数も限られたものであるってのは中学生でも理解できるはず。日本のシーンを牽引するスケーターの足元事情も、かつては国内代理店からのサポートが主だったのですが、現在は世界的ブランドのライダーリストにオフィシャルで名前を刻み、写真や映像といったメディアやCMに登場する機会もぐっと増えてきました。まさかこんな未来になっているとは昔では考えられなかったこと。世界に日本のシーンをレペゼンする姿は純粋に応援するほかありません。それだけの活躍ができるスケーターになってみたかったものであります。
さて、さまざまな形で活躍し、オフィシャルチームの一員として名前を残しても、より高みを目指すスケーターであればきっと思うのでしょう。「自分のシグネチャーシューズを出したい」と。これまたさらにハードルの高い話なのは想像に難くありません。ここまでメイクできれば人間国宝級レベル…と、そう思ってみたところ、あることに気付きました。「そーいやオレ、ゆーてそこまでシグネチャーシューズって履いてきたことって多くないよな」と。しこたま滑る時間はあるが金はない10代、スケシューはなるべく安いセール品を狙い打ち。誰それシグネチャーが欲しくてもなかなか買うには至りません。比較的安く手に入ったVansのOld Skool、Sk8-Hiなんかよく履いてました。バイトや仕事をするようになり、しかし生活もそこまで余裕はない20代、あれこれいろんなスケシューを手探りしつつも、推しだからとて誰それシグネチャーを狙って買うなんてこともそうなく、一般的なチームモデルを履くのが多かったなと。30代に突入し、ある程度落ち着いてきたところでようやく、「コイツはゲットしておきたい!」ってなシグネチャーモデルなんかをたまにゲットできるわけです。
ざっと自分史上を思い返すと、シグネチャーシリーズで一番多く履いてきたのってadidas Skateboardingのデニス・ブセニッツのモデルになるのかな。adidas Skateboardigにハマってよく履いていたときなのですが、サッカーシューズからインスパイアされたモデルは足に馴染みやすいので何回もおかわりしていました。あとはVansのHalf CabやRowleyなんかもまれに。色褪せない記憶としては初めて自分の意思で「コイツは絶対!!」とゲットしたのはVansのTNT 1stモデル。当時ゴテゴテのスケシューが主流の中でシンプルなモデルながら、TNT(トニー・トゥルヒーヨ)の攻撃的なスケートを体現するかのようなカラーは、大金(お年玉)を手にしたばかりの中学生としては買わずにいられませんでした。もし今復刻したら…もしくは中古屋さんでも状態がいいのがあれば、またゲットしたいスケシューNo. 1。
─Kazuaki Tamaki(きなこ棒選手)