中学のとき、授業の一部に「速読」というものが組み込まれていた時期がありました。具体的には忘れてしまったものの、普通に単語単語で読み進めていくのではなく、フレーズごとを反射的に視覚に入れて読み進めることで読書のスピードがアップ。そして頭の回転も早くなると。なんとなくやらされては読書のスピードアップも感じつつ、同時にどこか胡散臭さも感じていたからであろうか、文章の中身があまり頭に入ってこなかったように記憶しています。残念なことに、それ以降読書の習慣が定着することはなく、まれに気になった本を読んでみる以外で目を通すといえばスケート関連の書物ぐらい。まだまだ情報が溢れていなかった当時、毎日のように睨めっこしていたハウツー本やスケート誌の記事やイラスト、写真などの方がよほど脳内に残っております。それも細かいところまで。もっとも、当時まかり通っていたデタラメ情報なんかも鵜呑みにしていたので、随分と時が経ってから情報の不正確さを知り、それまで当然と認識していたことが覆されることに笑ってしまうこともあるのですが。たとえば「DC Shoeの“DC”は創設者のダニー・ウェイとコリン・マッケイの頭文字から名付けられた…」という話を信じて疑わなかったとか、そんな話さ(笑)。
おっと〜、話が逸れかけてしまった! 謎の速読時代から20年以上の時が経ち、スケートシーンも広く深くなり、そしてインターネットやSNSが普及したことで情報も広く収集可能になりましたが、同時に浅くなりがちなことを憂う現在です。なんでも毎日スケートビデオがアップロードされているわけなので、気になるものだけをかいつまんでいく他にやり方がありません。近ごろ耳にするのは、速読じゃないけど、YouTubeなんかの倍速視聴。単に情報を得たいときには便利である反面、それがスケートビデオを再生するときにまでその手が及んでいるというのはちょっといただけません。スケートビデオは単なる情報ではなく、作品。出演するスケーターのひとつひとつの動き、トリックはやっぱりアートとして捉えたいし、それを撮る側、編集する側はそれ以上に作品として作り込んでいるはずです。映像の随所に出てくる仕掛けやギミック、たまたま映り込んだ産物なんかも視聴速度を上げて取りこぼしているようではもったいないし、できる限りベストを尽くすべく動き、伝えようとしてきた出演者や作り手にとっても残念に感じてしまうはずです。そういやスケートビデオに限らず映画だったり、曲なんかもそう。サブスクでいくらでも聴けるようになったけど、曲のサビの部分だけ聴いて満足しちゃうって人も増えたみたいで、そんなユーザーにも合わせるべく冒頭からサビの曲が増えたとかなんだとか。タイムパフォーマンス重視に起因するであろう、そんな風潮に待ったを申したいところですが、それは古い世代の凝り固まった考え方であるのも否定できません。しかしながら思うのです。スケートビデオぐらいは、せめて自分の好きなスケーターのパートぐらいは行き急ぐことなく、じっくり観察してみて、より深い情報を見つけ出してほしい。それが自分の引き出しへと繋がることもきっと多いはずです。
─Kazuaki Tamaki(きなこ棒選手)