中野サンプラザがその役目を終え、閉館となりました。数年前からそんな噂はありましたが、ついにその時が来てしまいました。自分が上京する前のことですが、東京に来て初めて見たときのことは今でも覚えていて、「アレ、中野サンプラザってスキンヘッドにサングラスのおっさんのことじゃねーんだ?」と。スキンヘッドにサングラスは中野サンプラザじゃなくて「サンプラザ中野くん」なわけですが、自分と同じことを思った地方出身者は他にも一定数いるようです。それにしてもあの三角形のような建物は「しかし、なんかカッケぇな…」と。
中野サンプラザ内にはコンサートホールにホテル、ボウリングやプールなんかもあったっけ。調べてみると、開館したのは50年前。おそらくこの原稿をお読みの大多数が生まれる前から中野のランドマークとして鎮座していたことになります。もともとは勤労者向けの福祉施設として「全国勤労青少年会館」という名称だったようですが、2004年に民間企業へ売却され、今のあり方として多くの人に親しまれているようです。スケーター的視点で言うとサンプラザを中心としたスポットのローカルはFatbrosやFESNを中心に「中野」ってシーンを形成し続けているし、その敷地内にはステアやマニュアル台、タイル貼りのきれいなフラットなどスケートには調子良さげな物件がずらり。もちろん、すぐに警備員なんかに注意されるわけです。自分が地元にいた頃に観たスケートビデオに登場してたスポットのあれやこれが、そこにはあるのです。中野のひとつ隣駅、高円寺にある僕の自宅からもプッシュで10分ほど…って割には足繁く通ったワケでもないですが、中野ローカルらとその近辺で滑った思い出は多数。サンプラザの真横にある区役所にてFatbrosが主催するスクールやイベントではサンプラザを模して作られたスケートセクションが設置されたり、夜な夜な立体駐車場に忍び込んで上から下までぐるっと降りる純粋な楽しみ方も、スケート欲を満たしてくれるものでした。コロナ初期で街もまだ静まり返っていた頃、仕事も休みになり暇潰しにスポットシークがてらクルーズしていると偶然出くわした工藤雄三とサンプラザの裏側の縁石でド平日の昼下がりにセッションしたのもいい思い出。そうそう、彼もまた以前、閉館した建物を舞台としたスケートビデオ『8:05』をプロデュースしていて、僕のお気に入りのひとつだったりします。
建物の老朽化により取り壊される中野サンプラザ。またその近辺は駅ごとまるっと再開発が進められています。でっかいビルなんかも増えていくことでしょうが、5年後の2028年にリニューアルする中野サンプラザくらいは、どの繁華街にもありそうなありきたりな商業ビルみたいのじゃなくって、一眼見てバチーンとくるようなかっこいい建物に生まれかわってほしいものです。「現在の中野サンプラザの施設やブランド、形状などのDNAを引き継ぐ」という声明もあるようなのでそれに期待したいところ。願わくば、そこにはスケートのDNAも取り入れていただきまして、スケートフレンドリーな環境になれば理想的なんだけどな〜。
─Kazuaki Tamaki(きなこ棒選手)