スケートボードに乗り始めてたかだか20数年。それにまつわるあれこれの変化を絶えず感じてきました。トリックやスタイルの進化・深化はもちろん、さまざまなブランドの浮き沈みを見てきました。一部のやんちゃな若者がやる遊びだったものが、今や親子で楽しむ健全なものとして浸透。そこでまたスケートに対する価値観も多様化しているのを感じることが多々あります。
つねに変わりゆくスケートシーンの中で、忘れ去られつつあるスケートスポットやパークを主に焦点を当てたウェブサイトが存在します。「The Skateboarding Crucible」というサイトなのですが、ここでフィーチャーされているのは今から40年ほど昔に作られたパークの数々。現代風のパークとはまるで違うコンクリート製のスネークランやトランジションがメイン。多くは今や廃墟同然、土で埋められた状態であったり、激しく劣化したりと普通に滑るには厳しそうなシロモノばかり。そんな過去の遺物をボランティアの手により改めて掘り起こし、再生させたストーリーなんかも掲載されているのも興味深いところ。どこのどのような人物がサイトを運営しているのかはわからないのですが、世界各地に点在する、なかなか見かけないような物件が取り上げられています。それらが作られた経緯やクローズした理由、それが存在するエリアの背景なんかも細かく記載されているのも興味深い。これにはマニアによる情報収集能力の奥深さを感じずにはいられません。
当時のスケーターや、それらパークを作った人たちはどのような未来を想像し、何を思ってそこでスケートをしていたのだろう。当事者たちが今のスケートシーンを見て、何を感じるのだろう。このサイトや、サイトが発信するYouTubeチャンネルを観てそう感じる今日この頃なのでした。そういや山梨にもそんなパークがありましたね。かつてはConverseが運営し、AJSAの大会なんかも開かれていた、いかついスネークとかがあったパーク。15年近く前ですが「マット・ロドリゲスのレゲエバンドがそこでライブし、ジョン・カーディエルがDJをやるから」と先輩に誘われるがまま電車とバスを乗り継いで行ったものです。わずかその3年後に再訪した際には廃墟と化してて、いつしかメディアでもすっかり見かけることはなくなってしまいました。あの場所はまだ存在するのだろうか...。
─Kazuaki Tamaki(きなこ棒選手)