もともと「スケートで1発カマしてくるぜッ!」とかでもなく、「進学」という名目でなんとな〜く地元を離れてやってきた東京。それまで何らかの用事や修学旅行くらいでしか来たことがなかった東京での生活は当然右も左もわからない状態からスタート。あれだけ摩天楼が立ち並んでいるのに、あちこちで新しくビル開発がされている様子は驚きでしかなかったし、それは今もなお進行中。渋谷のスクランブル交差点の人や電車の本数の多さ、電車内の寿司詰め状態も、今や慣れたものになりました。大学在学中の4年間は都心から少し離れ、人もやや少ない八王子で生活していましたが、それ以降は杉並区を転々としています。俄然都心方面で動くことも増え、仲間の数も数えきれないほどになりました。気がつきゃ東京生活も15年目。地元から上京してはUターンする人も多い中で、15年という年月は長い部類となっています。
地方や田舎ではよく言われがちな言葉「東京は人が冷たい」。また逆に東京で生活をする人が言う「田舎は人がみんな優しい」。僕は特にそこまで思うこともなく、逆に都会でも田舎でも人の温かさに触れられることも多々あり。やはり人が多いだけあってせかせかするのは仕方ない場面もあるのですが、そんな一部を切り取って「東京ディス」にするのはちょっと違うとも考えられるようになってきました。経済や文化活動の先端を行くのも人が多いからこそ、高い生活コストや混雑はその代償に過ぎません。「都会に住んでいるから都会人じゃないんだ。都会に住んでいても夢や希望を持って生きてなきゃ、ただの田舎者だよ」とは、ちょっと尖った地方出身の先輩の言葉。それを心に置いています。自分も地方からやって来て、東京に住ませてもらっている。いわば他所者の身分でありながら、それも引け目に思わせることなく受け入れてくれる人や街の懐の大きさすら感じています。そしてこれは世界中の大都市のどこへ行っても同じことなのでしょう。
最先端を求めて住処を移す人が一定数いるのはどの分野においても必然的なことなのでしょう。ことスケートボードに関しては、やはり今もなおアメリカの都市部が最先端を走り、各国の猛者達が移住してはその活躍を見せ、つねにその入れ替わりも起こっています。世界のスケートシーンという括りで捉えると、東京、日本はいち地方都市みたいなものでしょうか。そうでありつつ、コンテストシーン、ストリートシーンでの活躍はもちろん、それを取り巻く環境や産業もかなり発達したように思います。そんな環境を求めて外国から日本に移住してくるスケーターも今後増えていくのでしょう。憧れられて人が集まり、さらに発展し続ける地であることを願いたい。そうぼんやりと思いに耽る、秋の夜長でした。
─Kazuaki Tamaki(きなこ棒選手)