スケートボードを手にして最初にぶつかるのがオーリーの壁。そしてまた違った角度から見ると、実に多くの経験者が口にする「ローカルスポットに出入りする」という壁も存在します。パークも増え、キッズの頃から親御さんという盾に守られながらスケボーにのめり込んでいくのが当たり前となった世の中ですが、パークなんてそうそうなかった昔、つまりはそこらの広場や駐車場に勝手にセクションを持ち込んで滑るのが当たり前だった時代、無知な少年がそんな場所に突っ込んでいくのもまたひとつの難関でありました。
かくいう僕の地元、特にこれといった見どころのない町にも、スケーターとBMXが溜まっている駐車場がありました。「スケートできる場所がある」と噂を聞きつけてワクワクして行った場所…そこで見たのは浮ついた気持ちが一瞬にして飛ぶような、おっかない場所でしかありませんでした。自分より少し上のお兄さんらしいのですが、イカつい人たち。今考えても尖りまくっていたのですが、タバコと酒を注入しながら滑ってはバイクを乗り回す中学生が10数人いるような場所。もちろんスケボーも上手い。「とんでもないところに来てしまった」と縮こまることしかできなかったのですが、意外にもフランクに声をかけ迎え入れてくれたおかげで少しずつそのローカルスポットに馴染んでいくことができました(今ではすっかり後継者不足の過疎地帯)。
中学生にしてデッカいピアス、個性的なヘアスタイル、タバコ、酒、バイク…いわゆる「ヤンキー」にビビっていたのでありますが、そんな年上の先輩らと接していく中でわかっていったのは彼らはヤンキーとはまた違った立ち位置であったということ。どうやらヤンキーをちょっと馬鹿にするような様子すらありました。というのも当時の中学生ヤンキーとは襟足を伸ばした髪型と柄シャツ、ハンドルを曲げ改造したヤンチャリに乗り、他所の不良とケンカをして回るのが定番スタイル。スクールカーストでいうと同じヤンチャな部類には変わりありませんが、当時のスケーターの先輩らというものはどこか洒落っ気があり、閉鎖的なところもなく、「ヤンキーと比べるとなんだかイケてる人たち」というイメージ。スケーターに限られた話ではありませんが、ヤンキーとも区別される彼らは「ヤングー」と呼ばれておりました(それはそれでツッコミどころ満載の、今は死語)。そんな「ヤングー」なスケーターも僕の町のみならず、あちらこちらに存在していたものです。
当時のヤングーな先輩らはとうの昔にスケートボードからフェードアウトし、彼らに憧れてヤングー化していった僕らの同世代スケーターも生き残りわずかとなりました。あれから4半世紀近くの年月が経つわけですが、スケートボードも当時では考えられないほど世間に浸透し、ヤンチャとはあまり縁のなさそうな少年らが今日も楽しくそこらで滑っているのを見かけます。正しい表現かはわかりませんが、普通で健全かつ好青年ルックな若いスケーターが増え、またそんなスケーターも大舞台で活躍し笑顔を振りまくようになり、それがお茶の間にスケートボードのいい印象を与えるのに貢献していると思います。しかしながら当時ともまた少し違った感じで、尖った雰囲気全開の、現代の「ヤングー」なスケーターを見るとなんだか微笑ましくなるんだよな。
─Kazuaki Tamaki(きなこ棒選手)